自分の庭と、他人の庭と
価値観の話。
たとえば1軒家があったとして。お隣りにもう1軒あったとして。それぞれの家の庭はそれぞれのお家の方が管理をする。他人の庭に急に入ってきて「このお花を植えた方がいいよ。」はラインオーバーだと感じる。「こんなお花もあるから良かったらどうぞ。」のお裾分けはありがたいけど、ラインオーバーはすごく困る。と言う話をしたときに「え?だってこの花、流行してるし、世の中的にもそうでしょ?」的な反応をされてしまうと、少し戸惑う。全然伝わらないこともあるけど、一旦、お互いの庭って違うよね?と思いたいし大切にしたい。
考えかたの移住計画
今日は雨だ。たとえば、旅先で雨が降ったとして。その事実をわたしはこう受けとる。「雨だ。最悪だ。なんでもっと天気予報を確認しなかったんだろう。回避する方法はほかになかったかな。」
ところが、いつもわたしの話を聞いてくれる友人は同じ状況をこう捉えるらしい。「雨だ。やった!貴重だ。雨が降らないとこの情景には出会えない。晴れないと行けない場所はまた次の楽しみにしよう。」
あまりの解釈の差にいつも驚かされる。それになんだか友人の捉えかたの方が楽しく感じる。できればそちら側へ行けないかなと思ったりする。
それで。その考え方に、移住できないかなと相談をしてみた。すぐに、完全に、とはいかなくても。
はじめの1歩として「考えごとの最後は、楽しいとか良いことで終える」ってのをオススメされた。いまは全然できる気がしない。でも、時間をかけてでもそっち側に移住できたら楽しそうだなと思う。
脳内整理
モヤモヤするのは頭のなかが整理されていないからで。何にモヤっているかをキャッチできていない?のかも。
「ま、いっか」って思えたり、気にしない、いなす、などが出来ればいいのだけど。できないから困っているわけで。
何にモヤモヤしているのかは、その状況を記録していこうと思う。それと、どうしたいかもセットで残そうと思う。大体のことは「ご機嫌でいたい」に向かっていくと思うけれど。
同じことを繰り返すのも好まないので。
それはして欲しいことではない
夫に「こわいんだけど」と伝えると『こわくないよ』と返事が返ってくる。
わたしの目の前に怖いと感じる事実(感情)があると伝えても、そんなものは存在しないと言われてしまう。
いつもこの感情を置いてきぼりにされるのが、何よりつらい。
何年もかけて、表現を変えて伝えているけど「こわくないよ」が返ってくる。
すごく困っている。解決する方法は、何が良いのかまだわからない。
生活にあるモヤモヤがヒントかもしれない
じぶんが何を大切にしたいかを、わかっているようで意外とわかっていないのかもしれない。
日々の生活にモヤモヤが生まれるのは、こういったことも影響しているように思う。
大切にしたいものがわからないと、向かいたい方向もわからなくなってしまう。
何を大切にしたいのか、それができないのは何故なのか、解決に向けての選択肢は見つけられるか。そのあたりを大切に扱っていきたい。
モヤモヤは大事なカギになりそうだ。
夫と離婚したい
夫と離婚したい。
離婚は目的ではなくて手段。
そうすることで、たとえば自由にテレビをみたり、音楽を聴きたい。友だちとご飯に行ったり電話をしたい。わたしの大切なものを否定されずに過ごしたい。
さすがおれでしょ?って毎回褒めないといけない会話が苦しい。職場のまわりの人がいかにできない人間かと聞かされてるのが苦しい。
一緒に食事をしても会話がなく、話してもうわあの空で「耳はそっち向けてる」といわれるのが虚しい。
無音でシーンと静まり返る家が苦手だ。でも音を出すと嫌な顔をされる。
俺の稼いでいるお金で家族が幸せでいられると言われることが怖い。
一緒にいてもしあわせではない。しかしながら、経済的に支えられていることは事実。